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<モーグル>上村愛子 プロスキーヤーと同棲&熱愛発覚!家賃40万
フリースタイルスキー・モーグル界のエースで
アイドル級のルックスを兼ね備え、
2010年バンクーバー五輪の出場が
確実視されている上村愛子選手(29)が
イケメンスキーヤーと
同棲していることが報じられています。
家賃はなんと40万円!
「上村選手、同棲をしているみたいですね。
オフは皆川選手の部屋で
ふたり一緒に過ごすそうですよ」
(近い関係者)
上村愛子選手が同棲をしているとう。
お相手はアルペンスキーの皆川賢太郎選手。
「家賃で月40万くらいはする高級物件」
(不動産関係者)
皆川が住む都内の高層マンションの近所では、
上村の姿が頻繁にみられるという。
「上村さん、時折いらっしゃいますよ。
デート?そうですね。スキーの皆川選手と一緒に」
(居酒屋スタッフ)
「オフになるとよく来ます。
ふたりで仲良さそうに食べてますよ。
なぜサインをもらわないかって?
ラブラブだから邪魔するのも悪いかなと・・・」
(有名人がよく訪れる焼肉店スタッフ)
「最近も来ました。
カロリーを気にしてか、いつも塩ラーメンです」
(ラーメン店スタッフ)
さらに、こんな姿まで。
「この前は、ラフな普段着のスッピン姿で、
ハンドクリームや日用品を買っていきました」
(ドラッグストア店員)
出てくる、出てくる目撃情報!
そんな皆川選手を直撃した。
記者:上村選手と同棲されているんですよね?
皆川:あー、そんなことないですけどね。
記者:近所でもおふたりの姿が頻繁に目撃されていますが。
皆川:来た時に食事にいったりするぐらいですが。
記者:関係者の方からも、同棲されていると。
皆川:あー、それはないと思いますよ・・・。
なんとも微妙な反応だ。
皆川選手の母親に聞くと
「あの子も、もう31歳だし、
恋愛の話とかはしないですから(笑)。
上村さんとは事務所も一緒だし、よく会うとは思いますが・・・。
来年は五輪だし頑張ってほしいです」
居酒屋、焼肉屋、ラーメン店、ドラッグストアと
近所での目撃情報すごいですね。
かなり頻繁に2人で出歩いているのでしょうね。
ちなみに、4月3日に上村愛子が
東京ドームで始球式をしていましたが、
皆川選手もその日観戦していたことを
自身のブログで報告してます。
記者の突然の直撃には
否定も肯定もしない微妙な答えでしたが、
交際しているのではないでしょうかね。
来年はこのペアから目が離せそうもない。
お互い30歳を超えているので
結婚を前提にしたお付き合いみたいです。
◆09/06/11追記
上村愛子はまだ29歳でしたね。
結婚記事はリンク先に詳しく記載してます。
30歳直前のアラサーで結婚ってわけか。
バンクーバー五輪の閉幕直後でもいい気がしますが、
競技に専念するには今が一番良いのかな?
(引用 週刊女性, 一部編集)
モーグル上村愛子、皆川賢太郎と結婚!(09/6/11)
上村愛子 / 皆川賢太郎 - オフィシャルブログ
公式サイト / Wikipedia - 上村愛子
公式サイト / Wikipedia - 皆川賢太郎
2U(トゥー・ユー)~SKIの神様と過ごした日々の記録2編 [DVD]
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おすすめ度:
スキーがうまくなるカラダのつくり方 (LEVEL UP BOOK)
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おすすめ度:
\(^O^)/
デマでなければ一年後にバンクーバー五輪があるので、
初の金メダルとって引退・・・結婚みたいな流れですかね?
上村ファンとしては、デマであって欲しいし
もしも結婚したとしても現役は続けて欲しいです。
3000記事を09/04/18に達成、今回で3007事目です。
CoRichです。ブログの応援よろしくお願いします<(_ _)>
◆上村愛子
(うえむら あいこ、1979年12月9日 - )は、兵庫県伊丹市出身のモーグルスキーヤー。
身長156cm、体重48Kg。血液型はAB型。
北野建設スキー部所属。スポーツビズとマネジメント契約をしている。
2008年、紫綬褒章受章。
来歴 [編集]
幼少時代 [編集]
- 1979年12月9日、兵庫県伊丹市鴻池にて誕生。生後まもなく、先天性心室中隔欠損症であることが判明する。
- 1981年、2歳のとき、両親のペンション経営開業にともない、長野県長和町エコーバレースキー場付近に転居し、同地で1982年、3歳からスキーを始める。
- 1986年、両親が別物件のペンション経営を行うため、長野県北安曇郡白馬村に転居し、白馬村立白馬北小学校に進学、同地でアルペンスキーを始める。
- 1992年、白馬村立白馬中学校に進学し、スキー部に所属するも、入部早々に重度のいじめを受け退部、個人的なアルペンスキーの練習を行うにとどまる。
モーグルへの転機 [編集]
- 1994年、白馬中学校2年在学中にカナダに旅行した際観戦したモーグルスキーブラッコム大会で目の当たりにした、ロシアのセルゲイ・シュプレツォフの滑走に感銘を受ける。また、同大会で、頭角を顕しつつあった「テディベア」の愛称を持つ里谷多英の滑走を観戦する。この経験で帰国後アルペンスキーからモーグルに転向する。
- 1995年、長野県白馬高等学校に進学、スキー部に所属。自身二度目となる全日本選手権に参戦し3位入賞、全日本スキー連盟(SAJ)ナショナルチームメンバーに選抜される。
世界転戦へ [編集]
- 1996年、ワールドカップ最終戦マイリンゲン大会に初出場、高校1年生で3位入賞という快挙を成し遂げ、モーグルファンから注目を浴びるようになる。同大会の男子優勝者は同じ日本代表の坂本豪大であり、モーグル競技における初の日本選手W杯優勝であると同時に、初の日本選手男女アベック表彰台となった。
- 1998年、18歳で出場した長野オリンピックで7位入賞。同年3月、白馬高校を卒業し北野建設に入社、社会人としての競技生活を開始する。このオリンピックの前後からテレビ・雑誌など多くのメディアで注目されるようになり、18才でのオリンピック出場・整ったルックスなどの話題性もありテレビCMにも起用されるなど、日本における冬季スポーツの有名選手の1人になる。
- 2002年、メダル獲得が期待されたソルトレイクシティオリンピックに参戦するも、6位入賞にとどまる。
- 2002年-2003年シーズンのレークプラシッド大会において、FISワールドカップ初優勝。
- 2004年-2005年シーズンのヴォス大会において、ワールドカップ2勝目を挙げる。
- 2006年トリノオリンピックに参戦、女子選手ではほとんど挑戦しない「3D(空中で縦方向と横方向の両方に身体を回転させる)」と分類される大技エア「コークスクリュー」を成功させるも5位入賞に終わった。難易度が高いエア技を習得し、本番でも見事に成功させたにもかかわらず3位以内入賞を果たせなかった同大会終了後のインタビューにおいて、本人は努めて明るく振舞いながらも薄っすらと悔し涙を浮かべ、「一体どうすればオリンピックの表彰台に乗れるのかが…ナゾです…」と自嘲気味にコメントしている。
ヤンネ・ラハテラとの出会いと飛躍 [編集]
- 2005年-2006年シーズンが明け、2006年からはヤンネ・ラハテラに師事。ラハテラは、採点配分の低いエアー技にこだわる上村を説き伏せ、ターン技術とスピードアップを求め、負傷に苦しんだ上村を励まして徹底した走法改善を施した。これにより、従来苦手としていた上村のターン技術が飛躍的に向上した。
- 2007年-2008年シーズン、リステルスキーファンタジア(猪苗代大会)におけるシングルモーグル競技にてFISワールドカップ通算3勝目を挙げ、続くマリアーンスケー・ラーズニェ大会に於いてもデュアルモーグル決勝で連勝して通算4勝目を挙げ、自身初のイエロービブ(種目別年間暫定総合1位選手にのみ着用を許される黄色いゼッケンビブ)を与えられた。
そして迎えたオーレ大会ではシングル、デュアルの2連戦を連続制覇し、FISワールドカップ通算勝利数を6勝とすると同時に、最終戦を待たず日本人モーグル選手として初めてのFISワールドカップ年間総合女王の座を掴んだ。
総合優勝を決めた後の最終戦のバルマレンコ大会のシングルモーグルでも優勝し、何と終盤だけで5連勝という快進撃でシーズンを見事に締め括った。
環境問題への貢献 [編集]
2005年-2006年ごろから、地球温暖化による降雪不足を心配し始め、「上村愛子オフィシャルブログ」や「CO2減らそうリレーブログ」においても述べている通り、2007年3月に選手仲間の皆川賢太郎、スキー界の先輩で参議院議員の荻原健司と共に当時の若林正俊環境相を表敬訪問するなど環境問題改善を目する社会活動を行っている。メディアでも取り上げられ、「スポーツビズ」、「全日本スキー連盟」のホームページにおいて紹介されている。
マテリアル [編集]
2008 - 09年使用。
- スキー板 - ID one
- ブーツ - rexxam
- ビンディング - LOOK
- ポール - Hart
- ウェア - FABLICE
- ゴーグル - bolle
- グローブ - HESTRA
- ヘルメット - FOLIO
主な成績 [編集]
オリンピック [編集]
- 1998年 - 長野オリンピック 7位 (23.79点 - ターン13.10、エア4.71、タイム5.98)
- 2002年 - ソルトレイクシティオリンピック 6位(24.66点 - ターン13.30、エア5.22、タイム6.14)
- 2006年 - トリノオリンピック 5位(24.01点 - ターン12.50、エア5.75、タイム5.76)
- 予選5位 (24.20点 - ターン12.4 エア5.89 タイム5.91)
世界選手権・ワールドカップ [編集]
1995年-1996年シーズン 総合30位
- ワールドカップ
- マイリンゲン 3位 ※W杯デビュー戦
1996年-1997年シーズン 総合19位・デュアル28位
- ワールドカップ
- ラプラーニュ 11位
- ラプラーニュ 17位 (デュアル)
- トレンブラン 24位
- レイクプラシッド 17位
- ブラッコム 9位 (デュアル)
- ブリッケンリッジ 10位
- 世界選手権大会
- 飯綱高原 16位
1997年-1998年シーズン 総合28位・デュアル29位
- ワールドカップ
- ティーニュ 17位 (デュアル)
- トレンブラン 23位
- ブラッコム 16位
- フンドフィイェッレット 11位
- フンドフィイェッレット 17位 (デュアル)
1998年-1999年シーズン 総合6位・デュアル22位
- ワールドカップ
- マウントトレンブラン 4位
- スティームボート 9位 (デュアル)
- ヘブンリーバレー 3位
- ブラッコム 11位
- ブラッコム 17位 (デュアル)
- 猪苗代 7位
- 斑尾高原 14位
- 世界選手権大会
- マイリンゲン 23位
- マイリンゲン 4位 (デュアル)
1999年-2000年シーズン 総合4位・デュアル5位
- ワールドカップ
- タンダダーレン 5位
- タンダダーレン 2位 (デュアル)
- ブラッコム 4位(デュアル)
- マウントトレンブラン 2位
- ヘブンリーバレー 4位
- 斑尾高原 3位
- 斑尾高原 5位(デュアル)
- リビーニョ 4位
- リビーニョ 7位(デュアル)
2000年-2001年シーズン 総合2位・デュアル4位
- ワールドカップ
- ティーニュ 2位
- ディアバレー 18位
- トレンブラン 10位
- サンデーリバー 10位
- 猪苗代 2位
- 飯綱高原 3位
- 飯綱高原 4位 (デュアル)
- ヒモス 2位
- 世界選手権大会
- ブラッコム 3位
- ブラッコム 4位 (デュアル)
2001年-2002年シーズン 総合5位
- ワールドカップ
- ティーニュ 3位
- スティームボート 22位
- オーベルストドルフ 5位
- セントラリー 8位
- セントラリー 6位
- レイクプラシッド 10位
- 猪苗代 3位
- 斑尾高原 15位
- ルカ 5位
2002年-2003年シーズン 総合7位・デュアル5位
- ワールドカップ
- サウゼ・ドゥルクス 25位
- マドンナ・ディ・カンピリオ 14位
- ルカ 7位
- トレシブラント 4位
- レークプラシッド 優勝(初)
- ファーニー 17位 (デュアル)
- 猪苗代 12位
- 斑尾高原 12位
- 斑尾高原 2位 (デュアル)
- ボス 2位
- ボス 2位 (デュアル)
- 世界選手権大会
- ディアバレーRNS 17位 (デュアル)
- アジア大会
- 青森 優勝
2003年-2004年シーズン 総合9位
- ※ 同年度よりランキングがシングル・デュアル合計ポイント制に移行
- ワールドカップ
- ルカ 9位
- マドンナ・ディ・カンピリオ 7位
- マドンナ・ディ・カンピリオ 8位
- トレンブラン 20位
- レイクプラシッド9位
- ファーニー 15位 (デュアル)
- ディアバレー 8位
- ディァバレー 19位 (デュアル)
- 猪苗代 4位
- 猪苗代 5位 (デュアル)
- 苗場 18位
- シュピンドレルーフ・ムリーン 4位
- アイロロ 14位
- サウゼ・ドゥルクス 7位
2004年-2005年シーズン 総合7位
- ワールドカップ
- ティーニュ 8位
- トレンブラン 16位
- レイクプラシッド 14位
- ファーニー 7位 (デュアル)
- ディアバレー 11位
- ディァバレー 5位 (デュアル)
- 猪苗代 25位
- 猪苗代 10位 (デュアル)
- 苗場 4位
- サウゼ・ドゥルクス 17位
- ボス 優勝(2) ※エア技コークスクリューを決めての優勝
- 世界選手権大会
- ルカ 4位
- ルカ 3位 (デュアル)
2005年-2006年シーズン 総合19位
- ワールドカップ
- モンガブリエル 15位
- ディアバレー 10位
- ジサン 16位
- 猪苗代 3位
- アペックス 20位
2006年-2007年シーズン 総合24位
- ※ 負傷あり
- ワールドカップ
- 猪苗代 9位
- アペックス 6位
- 世界選手権大会
- マドンナ・ディ・カンピリオ 14位
- マドンナ・ディ・カンピリオ 19位 (デュアル)
2007年-2008年シーズン 総合優勝
- ワールドカップ
- 2007年12月13日 ティーニュ(フランス) 2位
- 2008年1月18日 レークプラシッド(アメリカ) 22位
- 2008年1月20日 レークプラシッド(アメリカ) 16位 (デュアル)
- 2008年1月26日 モンガブリエル(カナダ) 4位
- 2008年2月2日 ディアバレー(アメリカ) 9位
- 2008年2月16日 猪苗代(日本) 優勝(3)
- 2008年3月1日 マリアーンスケー・ラーズニェ(チェコ) 優勝(4) (デュアル) ※イエロービブ(種目別年間暫定首位)
- 2008年3月7日 オーレ(スウェーデン) 優勝(5) ※イエロービブ(種目別年間暫定首位)
- 2008年3月8日 オーレ(スウェーデン) 優勝(6) (デュアル)※イエロービブ(種目別年間総合優勝)
- 2008年3月15日 バルマレンコ(イタリア) 優勝(7) ※イエロービブ(種目別年間総合優勝)
2008年-2009年シーズン 総合5位
- ワールドカップ
- 2008年12月18日 メルベル(フランス) 6位 (デュアル)
- 2009年1月24日 モンガブリエル(カナダ) 優勝(8)
- 2009年2月7日 サイプレスマウンテン(カナダ) 5位
- 2009年2月13日 オーレ(スウェーデン) 3位
- 2009年2月14日 オーレ(スウェーデン) 2位 (デュアル)
- 2009年2月21日 ボス(ノルウェー) 優勝(9)
- 2009年3月18日 La Plagne(フランス)欠場 (デュアル)
- 世界選手権
- 2009年3月7日 猪苗代 優勝
- 2009年3月8日 猪苗代 優勝(デュアル)
主なエア [編集]
- コザック(〜99)
- スプレッドイーグル(〜97)
- ツイスター・スプレッド(〜02)
- ダブルツイスター(〜97?)
- ダフィー・ツイスター(〜97)
- ダブルツイスター・スプレッド(00〜02)
- バックスクラッチャー・コザック(98〜99)
- アイアンクロス・コザック(00〜03)
- バックスクラッチャー・ツイスター・スプレッド(02)
- 360(ヘリコプター)(03〜)
- 360 with アイアンクロス(04〜05)
- 360テールグラブ(04)
- コークスクリュー(オフアクシス720)(05〜)
- バックフリップ (07〜)
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