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<訃報>忌野清志郎さん58歳=ロック歌手 がん治療続け

忌野清志郎 完全復活祭 日本武道館 [DVD] ブルーノートブルース忌野清志郎 LIVE at Blue Note TOKYO [DVD] 瀕死の双六問屋 (小学館文庫)

「ベイベー!」や「愛し合ってるかーい!」などの決めぜりふ、

奇抜な衣装と演出で知られるロック歌手

忌野清志郎(いまわの・きよしろう、

本名・栗原清志=くりはら・きよし)さんが

2日、がん性リンパ管症のため死去した。58歳だった。


葬儀は9日午後1時、

東京都港区南青山の青山葬儀所

喪主は妻の栗原景子(くりはら・けいこ)さん。人気ブログランキング



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忌野清志郎 - 雨上がりの夜空に


「春夏秋冬」  泉谷しげる 小田和正 桑田佳祐 忌野清志郎


トランジスタラジオ 忌野清志郎
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東京生まれ。

68年に中学校の同級生らと、

忌野清志郎さんをリーダーとするバンド「RCサクセション」を結成、

70年に「宝くじは買わない」でデビューした。


72年には「ぼくの好きな先生」が、

80年には「雨あがりの夜空に」が大ヒット


82年には坂本龍一さんと組んでリリースしたシングル

い・け・な・いルージュマジック」が社会現象を巻き起こし、

日本の「ロックの神様」としてコンサートのほか、

CMや映画などで活躍した。


一方、「音楽は時代の刺激剤であるべきだ」との信念を持ち、

政治的なメッセージを込めた歌も歌った。


そのため、反原発を扱ったアルバム「COVERS」や

パンクロック風にアレンジした「君が代」が入った

アルバム「冬の十字架」が一時、発売中止になったり、

コンサートで突然「あこがれの北朝鮮」「君が代」を歌って、

FM中継が中断したこともあった。


06年7月に喉頭がん(こうとうがん)と診断され入院。

治療を続けた後、08年2月に日本武道館本格復帰した。


しかし、同7月、左腸骨にがんが転移していたことが判明、

再び活動を中止し放射線治療などを続けていた。


◆音楽評論家、田家秀樹さんの話

日本のロックバンド

日本語のロックの原形をつくった人だった。


忌野さんがリーダーだったRCサクセションは、

黒人音楽と日本語を初めて結びつけ、

またビジュアル系の元祖でもあった。


反原発の曲をつくるなど、ロックが反骨であると証明し続けた。


妥協もこびることもなく、

音楽一筋を貫き通したと言える。死は早すぎた


◆音楽評論家、天辰保文さんの話

清志郎さんの根底には黒人音楽への敬意があり、

それをエンターテインメントの形で

日本に定着させた功績は大きい。


権威への反逆も一貫していたが、

それをユーモアにくるみ、さりげなく表現していた。

実はシャイな人だったと思う。


彼の音楽には

彼は常に信頼できる人であり、自分もしっかりしなければ」と、

聞く者に思わせる力があった。人気ブログランキング


(引用 毎日新聞)

症状など - 喉頭ガン(こうとうがん) - Yahoo!ヘルスケア

訃報 - 忌野清志郎オフィシャルサイト

癌告白と闘病生活 / 忌野語録 - Wikipedia - 忌野清志郎
----------------------
忌野清志郎さん死去 泉谷しげるさん「オレは認めん」 悼む声次々

ゴールデン☆ベスト RCサクセション 入門編

古くからの知り合いで、

一緒にバンドを組んだ事がある

YMOメンバーの細野晴臣さん(61)は

亡くなるなんて信じられない。早すぎる。

お見舞いに行こうと思っていたところだったのに。

本当に残念だ。なんて言ったらいいのかわからない


と言葉をつまらせた。


ビートたけしさん(62)は

2日夜、TBSの生放送番組

情報7days ニュースキャスター」の出演中に悲報を知り、

がんもロックンロールだって言っていた」と硬い表情で語った。

たけしさんらが漫才注目され始めたころ、

ともに出演したこともあったという。


デビューのころにRCサクセションに火がついてきた。

ぐっと上がっていく時に、よく一緒にやった。

前座で漫才をやったこともある。

おいらがやっても相手にされなかった
」と当時を懐かしんだ。


忌野清志郎さんは、

FM802(大阪市北区)の今春の

キャンペーンソング「Oh! RADIO」を作詞作曲したばかり。


ヒット曲「トランジスタ・ラジオ」を持つ清志郎さんに、

開局20周年の節目に、

21世紀のラジオの歌を書いてもらおう


と同局が年明けに依頼。


スガシカオらが歌い、

4月から5月末までの予定で流している。


同局編成部の岩尾知明副部長(42)は

突然の訃報(ふほう)に驚いている。

体調が悪い中、

素晴らしい歌を作ってもらったことを思うと、

言葉がありません
」と話した。


60年代から共演を重ねてきた

ミュージシャンの泉谷しげるさん(60)は

オレとしては忌野清志郎が

亡くなったコトは受け入れません!

彼はオレの青春そのものだったし、

年下なのに師として仰いできたしこれからもだ。

忌野さんには一生勝てないし勝つ気もない。

若い頃から希有(けう)な天才性を発揮してたし

随分まねさせてもらったよ。

まだ恩返しもしてないのに彼が勝手に逝くはずもない。

だから冥福を祈らないし、告別もしない。

オレだけは絶対に忌野清志郎の死は、認めないから


との談話を発表した。人気ブログランキング


(引用 朝日新聞)
------------------
◆2ちゃんねるの反応


陽水との合作、帰れない二人は僕の大好きな曲です。
清志郎さん、とてもいい曲を作ってくれてありがとう。


こんな夜におまえに会えないなんて


清志郎、本当にありがとう


昼間のパパは〜ちょっと違う〜


ありがとう
天国でもまた唄ってください


ウソだって言ってくれ清志郎・・・


ちびまるこちゃんのエンディング曲が好きでした。
猫が鳴いてる〜


癌性リンパ管症を見逃したんだな


安らかにお眠りください
ありがとうございました…さようなら…
合掌。


突然の訃報に、帰りの総武線で泣いてしまった
帰れない二人をもう一回聞いて寝ます


なんかお通夜みたいね
みんなで思い出話して
変な外野がいるのも愛嬌ということで


買ったばかりのポータブルDVDプレイヤーで
去年買ったのに
仕事が忙しくて一回も見られてなかった
完全復活祭のDVD見るよ。
生きてるうちに見なくちゃと思ってたけど。残念きわまりない。


帰れない2人、最高だよね。
日野市出身だったか?
行ってみたいな日野。


忌野清志郎、吉田拓郎、泉谷しげる、井上陽水
元気なうちにこのメンツでなんかやって欲しかったな



なんつーか・・・・・言葉が無いです。
ご冥福をお祈りします。


あああああああああああ
信じられないorz
闘病大変だったろうな…
今は楽にしてるんだろうか。
さみしいけど
音楽が楽しいと思わせてくれた人でした、心からありがとう。


訃報スレでこれだけ早い
しかも荒らされつつw
ってのもこの人らしいっちゃらしいな


大物が逝くといつもこんな感じだな
俺はもうすぐ寝るけど


国立のちっちゃなギャラリーの展覧会で
闘病中の自画像を出品してたなあ。
そこに三浦友和作の焼き物もあってなんだかホッコリしたw


そういや三浦友和と高校の同級生だったな。


80年代前半のRCを見てないと
この人のかっこ良さはわからないだろうね


たった一度だったけどライブ観れて良かった。
御冥福をお祈りします。


昼間のパパはちょっと違う!昼間のパパは男だぜ!
清志郎さん、あんた男だったぜ!


桑田もショックだろうねぇ・・・
お姉さんに続いて、今度は憧れの存在まで・・・



あるとき腰が痛くなって、
何とか歩けるけど、走れない体になっちゃった。
整体行っても一向に直らず…
なんと歯医者行ったら直った。
Sっぽい美人歯科医が言うには
「虫歯の毒がリンパ管に流れてた」らしい。
今回、キヨシローは喉頭ガンがリンパ経由で腰に行ったんだよな?
あ。俺の虫歯と一緒じゃん!リンパ怖え!と思いました。


昼間のパパと
ルージュマジックくらいしか知らなかったがショックだ…
ご冥福お祈りします


RCの影響うけてるアーティストはムチャクチャ多いからね。
マスコミ関係にもファンが多いから
明日以降のテレビは凄いことになりそう


正直追悼ライブもトリビュート盤も要らない
静かにおくってあげたいよ



このニュース知った瞬間ショックだった……
いちど生で見てみたかったな。
ご冥福をお祈り致します。


今横で寝てる嫁さんは学生のときのバンドのボーカル。
RCもタイマーズも
CDを嫁さんに借りて聞いたのが最初だったよ。
清志郎死んだよって朝話すよ。
二人で一日中清志郎の唄聞くよ。


ずっと年上なのに
真心のトリビュートに参加できる
偉ぶらないとこも好きだった


昼間のパパがすきでした。


今知ったびっくり
なんか元気になったって聞いたのに
まだ50代なのに早いね
なんか時代を先取りした凄い人だと思ってた


9日の青山葬儀所では
よく来てくれた〜♪
って流れるのかな?


泣いたりするもんか
笑って見送ってやる(´;ω;`)


転移が判明した直後に
徹子の部屋に出演してたけど…清志郎、欝状態だったよ


忌野っていう名前が災いしたんじゃないのか?


同級の三浦友和ショックだろうな


忌野清志郎って
愛されてるんだなーとスレ見てて思った



今トランジスターラジオを聞いています
ずっと憧れてた方が
お亡くなりになるなんて信じられない持ちです。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。


なぁ
本当に死んじゃったんだよな?
どんどん悲しみが溢れてくるぞ



俺が日本人ミュージシャンで尊敬する人、2人いるが
その1人が清志郎だ・・・
人間はいずれ死ぬとは言え、やっぱり死は耐え難い
尊敬する人ならば尚更。
てか、どうしていいかわからん


警察に行ったのにが聴きたくてしょうがない。


おれたちができることは
いつまでもロックの神と呼ばれる
偉人いたことを忘れないことだよ


信じたくないなぁ
清志郎好きの友達と呑むことにするよ


33の俺でも知らない事が
あまりに多すぎて勉強になるスレです



中日の日本一を見る事ができたのはせめてもの救いだ


清志郎の音楽に全く興味がない鳥越が、
自分の癌闘病と絡めて
君が代とか反原発とかで政治利用しそうだな


転移してからはホント早いよなあ
転移したガンを克服できる時は人類に訪れるのだろうか


ひとしきり泣いて落ち着いた
あんたの音楽は永久に残るし
信念を受け継ぐ者もいるよ
かっこいい大人代表忌野清志郎
天国でもロックし続けてくれ
ずっと大好きだ
だめだ涙が止まらない人気ブログランキング


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\(^O^)/
2ch人口の年齢層のせいか、悲しみ方がハンパじゃない気がする。スレの伸びも異常だし。
私は彼のことをあまり知りませんが、なぜか悲しいですね。先日の武道館ライブでの復活は見事だったのに。ご冥福をお祈りします。

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◆忌野清志郎
(いまわの きよしろう、本名栗原清志=くりはら・きよし、1951年4月2日 - 2009年5月2日)は、日本のロックミュージシャン、作詞家、作曲家、音楽プロデューサー。自称バンドマン。俳優としての活動歴もあり。

プロフィール [編集]

RCサクセション(THE RC SUCCESSION:以下特段の理由がない限り「RC」と略す。)の中心メンバーとしてデビュー。その後、後述の各種ユニット、ソロ活動等で40年近くに亘り日本のロックシーンに影響を及ぼし続け、「キング・オブ・ロック」の称号で讃えられる。日本語によるロックの確立を果たした先駆者的存在。また、「キング・オブ・ライブ」とも言われるようにそのライブパフォーマンスには定評があり、巧みなシャウトやリズム感あふれるソウルフルなかけ声、オーディエンスを巻き込むセリフじみた呼びかけとボディアクション、奇抜なメイクによる劇場型のステージング、各パートのソロ演奏を取り入れたメンバー紹介の仕方など、日本におけるロックショーの確立において重要な役割を果たした一人である。

1980年代前半、RCとしてブレークした際には、「清志郎ルック」の髪型やメイク、ファッションを身にまとった若者が出現、音楽誌のみならず『アサヒグラフ』や『anan』、『宝島』、各新聞などでも取り上げられ、当時のサブカルチャーの象徴的存在として社会現象にまでなった。1980年7月20日付の朝日新聞の社説では、「RCのコンサートへ行けば、今日のわが国のあらゆるタイプの若者像を瞬時にして知ることができる」とまで評された。また、忌野から直接的・間接的に影響を受けたと公言するミュージシャン、作家、アーティストも多い。

初期の頃は、肝沢幅一のペンネームで作曲をしていたこともある(本名は栗原清志)。さらに音楽活動のほか、俳優活動、絵本の執筆など活動は多岐に亘る。東京都立日野高等学校出身。メンフィス名誉市民。1男1女の父親。

2006年7月に咽頭癌と診断され、治療に専念するために一時活動を休止する。2008年2月には日本武道館で復活コンサートを行った。しかし2009年に入って再び体調を崩し、その後再入院し闘病を続けたが、2009年5月2日午前0時51分、東京都内の病院で癌性リンパ管症のため死去した。享年59(満58歳)[1]。彼の訃報はNHKはじめ各テレビ局のニュース等でトップ扱いとなったり、繰り返し報じられたりするなど、その影響力の大きさが偲ばれることとなった。

なお、FM802開局20周年のキャンペーンソングである「OH! RADIO」をRADIO SOUL 20に作詞・作曲者として提供した作品が遺作となった。

 

人物 [編集]

清志郎自身、特に自慢話を好む性格ではないが、冗談交じりに自慢することがあるとすれば、高校の同級生で後に俳優になった「三浦友和にギターを教えたのは俺だ」というのがある。

 

音楽性 [編集]

フォーク、GS全盛の1970年代にあって、バンド形態こそアコースティックながらデビュー時よりロック、R&Bを基調としたオリジナル曲を作り、歌い続ける。特に影響を受けたと自身が語るのは、黒人音楽とビートルズである。

黒人音楽であるソウル・ミュージック、R&Bへの造詣はことのほか深く、往年の名ソウルシンガー、オーティス・レディングを最も影響を受けたアーティストの一人であると公言している。その影響は、メロディーやリズムの取り方はもちろん、ステージ上でオーディエンスに問いかける「愛しあってるかい?」というMCや、曲中での「ガッタ、ガッタ」という独特の発声・シャウトなどからも伺うことができる。ソウル、R&Bへの憧憬から、自身のライブにおいてジェイムス・ブラウンのガウンショーを再現、ブッカー・T.&ザ・M.G.'sとのレコーディングやツアーの実施(1992年)、ブルース・ブラザーズ・バンド来日公演時のサプライズゲストとしての参加(2007年4月)、サム・ムーア(ex. サム&デイヴ)のステージへの飛び入り出演(2007年10月)なども実現させている。自身の曲中においてもオーティス・レディングの曲をカバーしたり部分的に使用したりしている。(例:「Sweet Soul Music」の曲中で「(Sittin' on)the Dock of the bay」、ライブアルバム『The KING OF LIVE』中の同曲では「I've been loving you too long」を歌っており、「よぉーこそ」の曲中では「I can't turn you loose」の有名なホーンセクションのフレーズを使用している。)

また、ビートルズに関しては多くの曲にビートルズへのオマージュと見られるアレンジやコード進行、ファルセット、歌詞などが散りばめられている。

 

歌詞 [編集]

ロック=英語が常識と考えられていたかつての日本の音楽シーンにあって、日本語でもロックのリズムに乗せることができることを証明し、多くのミュージシャンに影響を与えた。

その特徴は、歌詞がはっきりと聴き取れる歌い方ながら、アクセントや母音・子音の使い分け、韻の踏み方、3連譜的な単語の使用などにより日本語特有の間延びを感じさせないような作詞法にある(対極的な作詞法・歌い方としては、日本語を英語のように聴かせる桑田佳祐の例がある)。これらにより、前記の海外のミュージシャンや外国人プロデューサーなどからも高い評価を得ており、また、人間の内面をストレートに表現する叙情性や言葉の選び方などに対して、糸井重里、筑紫哲也、川崎徹、吉本隆明、湯川れい子、坂本龍一、秋元康、町田康、枡野浩一ら各界の文化人からも賛辞が贈られている。 小説家の角田光代は、忌野の歌詞を「彼の書く歌の詩は、私には小説だった。ひとつの言葉が幾多もの意味に広がる。個人的な言葉のつながりが、普遍的な意味を持つ」と評している。

歌詞の内容は、基本的には黒人音楽の影響から恋人や家族への愛を歌ったものが多いが、一方で大きな特徴として下記の3点が挙げられる。

  1. 社会的問題のテーマ化 日本の音楽シーンにあって社会的メッセージを直接的に歌い続ける数少ないミュージシャンの一人である。内容は、マスコミ批判から世界平和、反核、政治、ネグレクト、差別、国家権力まで幅広く、その問題意識の高さは度々メディアに取り上げられることがある。それらにあてはまる主な作品(カバーを含む)に、「言論の自由」「ラブ・ミー・テンダー」「サマータイム・ブルース」「軽薄なジャーナリスト」「LONG TIME AGO」「障害者と健常者」「トカレフ(精神異常者)」「目覚まし時計は歌う(選挙ソング)」「警察に行ったのに」「ママもうやめて」などがある。
  2. ダブルミーニングの多用 恋人(女性)や車のことを歌いながら、ドラッグやセックス、政治的なメッセージを連想させるダブルミーニングの意味深な歌詞を初期の頃より多く発表している。主な作品に「雨あがりの夜空に」「SKY PILOT」「SHELTER OF LOVE(ツル・ツル)」「I LIKE YOU」「TIMERSのテーマ」などがある。
  3. タブーを破る過激性 マスコミ的にタブー視されるような問題を正面から見据えてアンチテーゼとして問題提起する作品も多い。主な作品に「カプリオーレ」「FM東京」「覚醒剤音頭」「原発賛成音頭」「宗教ロック」「あこがれの北朝鮮」などがある。

 

パフォーマンス [編集]

「オー、イェ〜イ」「ベイベ〜」「愛しあってるかい?」「愛してま〜す」「イェ〜って言え〜」などのMC、一度聴いたら忘れられない独特な歌声、ど派手な衣装とどぎついメイク、卑猥な行為を連想させるステージアクションなど、常にエキセントリックな手法を用いオーディエンスを独特の世界観へと導くパフォーマンスを行う。また、ギターだけでなく、ブルースハープ、カズー、ピアノ、フルート、サックス、ドラム、ほら貝など様々な楽器の演奏を披露することも多い。

 

代表曲 [編集]

「僕の好きな先生」「雨あがりの夜空に」「トランジスタラジオ」「スローバラード」「い・け・な・いルージュマジック(坂本龍一との共作)」「ベイビー!逃げるんだ。」「パパの歌」「デイドリーム・ビリーバー(モンキーズのカバー)」など。あるテレビ番組で本人が語った所によると、レパートリーは他人に提供したものも含めると400〜500曲はある。

 

その他 [編集]

  • 自転車愛好家。東京都内の仕事先には自転車で通うほどで、「2005自転車名人」にも選ばれた。チームLSD(Long Slow Distance)を結成し、奥の細道自転車ツアーやホノルル・センチュリーライドなど長距離サイクリングに挑戦している。愛車は総制作費160万円のロードレーサー「オレンジ号」。2005年、オレンジ号が盗難に遭い後日発見されたことが報道され話題になった。自転車旅行の記録などからなる著書『サイクリング・ブルース』もある。
  • 「音楽で生計を立てられなければ絵描きになるしかなかった」と本人が言うほど画才があり、自身のアルバムジャケットや書籍の表紙などを描いている。毎年恒例の日野高校OB展にも作品を出品している。なお、初期のRCサクセションのヒット曲「僕の好きな先生」は、忌野が日野高校に在学していた頃の美術教師がモデル。

 

略歴 [編集]

1951年、誕生

1966年、中学の同級生、小林和生、破廉ケンチと「ザ・クローバー」を結成。

1967年、高校進学によりザ・クローバーを解散。小林和生と武田清一(後に 日暮しでデビュー)とで「ザ・リメインダーズ・オブ・ザ・クローバー」(バンドの名前は「クローバーの残党」を英語名)を結成し、初めてギャラを得る仕事をするも、数か月と短い活動期間で解散状態に。

1968年、破廉ケンチがバンドに戻り「RCサクセション」(バンド名前は「クローバーの残党の続き」を英語名)として再スタート。

1969年、RCとしてテレビ番組「ヤング720」のオーディションに合格。続いて東芝主催の「カレッジ・ポップス・コンサート」オーディションで3位に。この模様を収録したオムニバス盤が初めての公式音源となる。収録曲は「泥だらけの海」。

1970年、RCとして「宝くじは買わない」で東芝音工(現東芝EMI)よりシングルデビュー。

1971年、渋谷のライブハウス・青い森で当時フォークデュオ古井戸として活動していた仲井戸麗市と出会う。

1972年、共作した「帰れない二人」「待ちぼうけ」の2曲が収録された井上陽水のアルバム『氷の世界』がミリオンセラーとなる。

1978年、RCに仲井戸麗市らがサポートメンバーとして参加し、フォーク形態からロック/R&B形態へとバージョンアップされる(当時は、その衝撃の大きさから「パンク・ロック」と評された)。

1979年、ジョニー・ルイス&チャーの前座として初めて日本武道館のステージに立つ。

1981年、RCとして初の日本武道館単独公演。

1982年、坂本龍一(当時イエロー・マジック・オーケストラ)と組んで発表したシングル「い・け・な・いルージュマジック」が資生堂82春のキャンペーンソングとしてヒット。PVでは、どぎつい化粧をして男同士でキスをするなど過激なパフォーマンスを展開、時代を席巻する。 同年、サム・ムーア、チャック・ベリーらとのジョイントライブを開催(アルバム『THE DAY OF R&B』収録)。

1982年、肝臓を壊し、医者から「一生治らない」と宣告される。

1983年、藁にもすがる思いで頼った東洋医学による治療を1年間続けた結果、肝臓が完治。「一生治らない」と告げた医者からも「奇跡だ」と驚かれる。

1985年、RCとして独立事務所「うむ」を設立。

1987年、初のソロアルバム『RAZOR SHARP』をリリース。

1988年、東芝EMIより発売予定だったRCのアルバム『COVERS(カバーズ)』が、収録曲の歌詞の問題で発売中止となる。

1989年、ザ・タイマーズの1stアルバム『THE TIMERS』をリリース。カップラーメンのCMに使われたシングル「デイ・ドリーム・ビリーバー」がヒット。

1991年、RC無期限活動休止。個人事務所「ベイビィズ」設立。

1993年、プライベートスタジオ「ロックンロール研究所」設立。

1995年、映画『119』の音楽担当として日本アカデミー賞最優秀音楽賞を受賞。インディーズレーベルSWIM RECORDS設立。

1998年、フジロックフェスティバル初出演。初のフジロックの成功とともに、忌野はフジロックの顔となる。

2000年、30周年記念イベント「RESPECT!」を日本武道館にて開催。

2002年、せがわきりとの共著で絵本『ブーアの森』(TOKYO FM出版)発表。忌野の名義で同名のマキシ・シングルがavex ioからリリース。

2006年7月、公式ウェブサイトにて喉頭癌であることを発表。治療のため入院生活に入る。

2007年12月8日、日本武道館での『Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ』に出演。ファンに完全復活を印象づける。

2008年2月10日、日本武道館にて『忌野清志郎 完全復活祭』を開催。全24曲を歌いきり、武道館を埋め尽くした13,000人のファンを心酔させる。後日、大阪フェスティバルホール、京都会館第一ホールにおいてそれぞれ追加公演を行う。

2008年7月14日、癌の左腸骨への転移が判明したことを公式ウェブサイトで発表。夏の野外フェスティバル、ライブはすべてキャンセル、再び治療に専念する。

2009年5月2日午前0時51分、癌性リンパ管症(癌細胞がリンパ管を塞栓したことによる肺の湿潤化)のため死去。満58歳没。

 

参加バンド・ユニット等 [編集]

  • RCサクセション - (1968年 - ) 忌野清志郎・破廉ケンチ・小林和生の3人から始まった忌野の代名詞的グループ。当初はアコースティック主体、実験的、独創的な作風と辛らつなMCなどで活動。1970年代終わり仲井戸麗市が加入する前後から、エレキギターをフィーチャーし、忌野、仲井戸のコンビネーションなどで、一躍時代を代表するロックバンドとなる。新井田耕造、Gee2wo、小川銀次、春日博文、厚見玲衣らが在籍。1991年より無期限活動休止。
  • DANGER - (1982年 - ) 梅津和時率いるドクトル梅津バンドに忌野が加わったバンド。アルバムも発表。
  • RAZOR SHARPS - (1987年) イアン・デューリーのバックバンドであるブロックへッズが忌野のバックを担当し、アルバムを共に制作した際のバンド。ツアーも行った。スタジオ録音では、元ザ・クラッシュのトッパー・ヒードンも参加。
  • ザ・タイマーズ - (1989年-1995年) 忌野、三宅伸治、川上剛、杉山章二丸らが、それぞれゼリー、トッピ、ボビー、パーを名乗って演奏したといわれている。ゲリラ的な活動を展開した覆面バンド。あまりにも過激な歌詞やMC、予測がつかないスリリングなステージパフォーマンスなどで知られる。
  • HIS - (1990年 - 1991年) 細野晴臣、忌野、坂本冬美の3人によるユニット。名前は3人の苗字のイニシャルから。HISを作った理由は、「ぼくが冬美ちゃんを好きで冬美ちゃんがぼくを好きで、細野さんが冬美ちゃんを好きで冬美ちゃんが細野さんを好きで、ぼくが細野さんを好きで細野さんがぼくを好きだからだったんだ」。なお、坂本冬美はRCのアルバム『COVERS』にも参加している。
  • トーサンズ - (1991年) 浜口茂外也と組んだ2人組ユニット。糸井重里作詞の「パパの歌」をシングル発売。
  • 23s - (1991年 - 1993年) 山川のりを、大島賢治、中曽根章友など若手と組んだRC後初の恒常的バンド。
  • スクリーミング・レビュー - (1994年 - 1995年) ストリングスを加えた大所帯のグループ。DVDを一枚発表。基本的にはザ・タイマーズのメンバーが本名でバックを担当している。
  • リトル・スクリーミング・レビュー - (1996年 - 1999年) 三宅伸治、藤井裕、富岡義広(元TENSAW)と結成されたバンド。2枚のアルバムと1枚のミニアルバムをリリース。
  • ラフィータフィー - (2000年 - 2001年) 藤井裕、上原"ユカリ"裕、ジョニー・フィンガーズ、武田真治というメンバーで結成されたバンド。
  • LOVE JETS - (2002年 - ) プラハ、パイロン、プリンシプルを名乗った覆面バンド。宇宙からやってきたというコンセプトのもとに結成されたグループ。忌野のほかのメンバーは、KANAME(COSA NOSTRA)と阿部耕作(THE COLLECTORS)。
  • ミツキヨ - (2002年) 及川光博との企画ユニット。シングルを発表。
  • 忌野清志郎 & NICE MIDDLE with NEW BLUE DAY HORNS -(2003年 - )メンバーは、三宅伸治、中村きたろう、厚見玲衣、宮川剛、梅津和時、片山広明、渡辺隆雄。

その他イベント用の単発的なユニットも数えると40以上のバンド、ユニットでステージをこなしている。



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